スキップしてメイン コンテンツに移動

懐メロになったニューミュージック


先日NHKで「究極ヒットパラダイス~アラフォー・エンドレス・サマー~」を視た。
杉山清貴、稲垣潤一、中村あゆみ、スターダストレビュー、山下久美子という1980~1990年代を賑わしたアーティスト達が、その代表曲を歌うライブ番組だ。
番組サイトによると『アラフォー世代の心揺さぶる、「胸キュン名曲」を織り連ねた音楽番組。』だそうだ。

演奏されたのは「翼の折れたエンジェル」、「赤道小町ドキッ!」など。
この番組の視聴者ターゲットより一世代以上も年上の私でさえ知っているヒット曲ばかりだった。

でも、ちょっと待って!Play Back、Play Back!!(古いかなー)
どうも熱い思いが滾らないのはなぜ?
『青春時代をプレイバックしながら(中略)、ときには思い出にひたって涙する…』ことにならないのはなぜ?

この番組と前後して、「SONGS『中森明菜・歌姫スペシャル」が放送された。
1970年代から80年代にヒットした名曲をカバーした彼女の最新アルバムから数曲を歌った番組だ。
特に、尾崎豊の「I LOVE YOU」は、40歳を過ぎた中森明菜の感性のフィルターを通って、まさに「胸キュン名曲」として私の心に響いた。

何が違うのだろう…?

そんなことを漠然と考えながら、番組を視ているうち、終了時間が近づいてきた。
トリは山下久美子だった。
彼女は昔と同様「From Bathroom With My Love」を、相変わらず「♪フロム・バスルーム・ウィズ・マイ・ラブ」とカタカナ英語で歌っていた。

そのとき、私の中の違和感の理由が分かった。
これは「懐メロ」なんだ。
今ここで歌っている人達には《今》がない。
過去の遺産を引きずっている彼らは、懐メロ番組で過去の栄光にすがるオジサンやオバサン歌手と同列なのだ。

キーが下がり、音域は狭くなる。
声量も唖然とするほど衰えてゆく。
それは年齢の宿命だ。
そこに活動の場の減少が拍車をかける。

でも、人間としての年輪が楽曲の深みを作り出すことは十分できるはずだ。
例えば、忌野清志郎は「雨あがりの夜空に」でギラギラしたパワーの発散から、歳とともに愛情表現へと深みを持っていった。
明菜は過去の名曲たちに、オリジナルとして初めて聞いた時とは違う、年齢なりの高揚を映じていた。
そうした変化こそがミュージシャンが《今》を生きている証しだと思う。

全盛期にテレビ出演を拒み、自らの音楽性を強く主張した彼らが、歌謡曲の歌手と同じ道を辿っている。
まだまだ可能性を持っているはずのアーティスト達がこんなレベルに堕している姿を見るのは悲しい。

そうした「懐メロ」レベルに自分を落とし込んでいるアーティストにガッカリすると共に、そうしたパフォーマンスでも納得する制作者にも失望した。
ファンとしては、アーティストには固執して欲しいという部分と、新しい可能性を見せて欲しいという思いがある。
そうした目で見た唯一の救いは、中村あゆみの『翼の折れたエンジェル』で人生経験の足跡を垣間見ることができたことだった。

コメント

このブログの人気の投稿

心地よい緊迫感の俊足ドラマ

CXの「 絶対零度~特殊犯罪潜入捜査~ 」が面白い。 昨年の「 絶対零度~未解決事件特命捜査~ 」のSeason2だ。 前シリーズは若くてドジな刑事桜木泉(上戸彩)の成長日記のようなストーリーだった。 ある意味上戸彩の魅力がメインになった、ありきたりなドラマだった。 ところが、リニューアルされ、任務も変わって番組自体の空気も一変した。 今シリーズは一言でいえばスパイ映画。 変装、潜入、嘘、盗聴などあらゆる手段で容疑者に接近し、情報を集め、事件解決につなげる。 そんな中で、主人公泉の葛藤が横軸に流れる。 番組全体を緊迫感が包み、駆け足で進むようなテンポはあるとき視聴者を置き去りにしてゆくようだ。 何より、尾行シーンの演出が秀逸だ。 昔、「太陽に吠えろ」では捜査員たちがチームワークで次々とリレーしながら犯人を尾行した。 それと匹敵するような緊張した尾行を随所に見せてくれる。 「24 -TWENTY FOUR-」以来流行している映像処理も上手く取り入れ、緊張感を作り出している。 ただ欲をいえば、スタッフが乗り込む偽装トラックの装備がちょっとチャチ。 「エネミー・オブ・アメリカ」程ではなくとも、ハイテク感は出して欲しい。 それと他の刑事ドラマにあるような説明的な部分がまったくないために、ちょっと目を離すと展開が見えなくなる。 ここに何か工夫があっても良いと感じた。 出演者の顔ぶれを見れば、テレビ朝日の「 ジウ~警視庁特殊犯捜査係~ 」にも期待したい。 黒木メイサと多部未華子という、これからのドラマ界で重要な意味を持つであろう二人の競演には興味を惹かれる。 初回を見る限り、期待を裏切られることはなさそうだ。 来週以降を楽しみにしたい。 しかし、「特殊犯罪捜査対策室」といい、「特殊犯捜査係(SIT)」といい、特殊な世界で活躍する刑事ドラマが主流になってきた。 それを否定する気はないが、できることなら王道の捜査一課が活躍するストーリーというのも見たい。 秋の編成に期待しよう。

真の日本女性は物悲しさが似合う

ワイドショーのコメンテイターとして評価を下げていた市川森一氏が、やはり脚本家としては巨匠だと納得させる作品を書いた。 NHKの土曜ドラマスペシャル「 蝶々さん~最後の武士の娘~ 」がそれだ。 オペラ「蝶々夫人」を題材にした自らの原作を、しっとりとしたドラマに仕上げた。 日本女性の真の美しさを、明治という時代の長崎を舞台に、物悲しく、ロマンティックに描き出した。 この作品のキーワードは『葉隠』という、日本伝統の武士道の根幹となった哲学だ。 宮﨑あおいが演ずる主人公の伊東蝶(蝶々さん)は、祖母から教え込まれたこの精神をよりどころとして生きている。 フランクリンを愛するようになったのも、最後に自害したことも『葉隠』に従ったとして必然性を持たせている。 そして何より、『葉隠』に従いながら、アメリカに憧れる蝶に、古い伝統と国際化という波が鬩ぎ合う明治20年代半ばの時代を象徴させている。 さすがだ。 宮﨑あおいは、しっかりと安定した表現でこの難しい役を演じきっていた。 若いが、演技派として高い評価を得ているだけの充実感があった。 特に、ふと垣間見せる艶やかな表情は、「篤姫」からの成長を感じさせるものだった。 この作品が「篤姫」から続く宮﨑あおいの続編、あるいは一つの集大成の作品という見方もあるかもしれない。 時代に翻弄される女性を演じるという点では「篤姫」と共通する。 しかし、それはNHKの広報戦略に乗せられている様で少し悔しい。 また、田渕久美子の大河ドラマ「 江 」と同列に扱われるのはもっと口惜しい。 田渕脚本は、あからさまな二番煎じのドラマで私たちを幻滅させた。 演出陣は上野樹里という稀有な才能を引き出すどころか、見殺しにした。 そうした駄作とこの作品は決定的に異なる、質的に対極にある秀作だ。 演出も激しい感情表現を避け、しっかりと蝶の心象を描くことに専心していた。 アップの多用は多少気になったものの、煩わしいものではなかった。 セットやCGとの合成など物理的な制約と、作品のテーマを考えれば納得できる範囲。 バックに流れる音楽にも好感が持てた。 作品全体に『葉隠』の精神が流れていることが伝わってきた。 この作品を視て、早坂暁脚本、深町幸男演出、吉永小百合主演の『夢千代日記』がオーバーラップした。 作品の底辺に...

笑われるタレントの時代がまたやってきた

「 クイズ・ヘキサゴンⅡ 」が絶好調のようだ。 それは視聴率の面からだけでなく、番組の勢いという面、制作サイドと出演者の疎通という面なども含めてのことだ。 それは島田紳助さんがヘキサゴンファミリーと、主なレギュラー出演者たちを呼ぶなどからしても、よい空気感が伝わってくる。 少なくとも今のところは出演者それぞれが存在感を得ている。 その正月特番で、この番組から誕生した羞恥心が音楽活動を休止することになった。 真に2008年を疾風のごとく日本中を席巻し、1年足らずの間で音楽界に一つの足跡を残す活動をしたといえるだろう。 番組が生んだ副産物とはいえ、その勢いはたいしたものだった。 この番組が生み出した『オバカタレント』は芸能界に新たな1ジャンルを築いたことも見逃せない。 今までクイズ番組といえばANBの「 クイズ雑学王 」のように正解率の高いに人にスポットライトが当たるものだった。 しかし、ヘキサゴンではタレントたちの無知さを笑いの種とすることでオリジナリティーを勝ち得ている。 ただ、羞恥心をはじめPaboのメンバーたち、残念ながらオバカのほかにこれといったキャラクターがないようで、他の番組に出てもまったくおもしろくない。 紅白歌合戦でも四文字熟語などいわされていたが、会場から笑いを誘うことはなかった。 やはり島田紳助さんの父親の愛すら感じさせつつの突込みがあってこそ生かされているということだろう。 そんなブームに肖ろうというのだろうか、日本テレビが1月3日に「 おとなの学力検定スペシャル 小学校教科書クイズ!! 」なる番組を放送していたが、これが惨憺たるでき。 単なるパクリで、局の姿勢を疑いたくなるような番組だった。 ヘキサゴンファミリーのメンバーも出演していたが、まったく持ち味が生かされていなかった。 こんな番組を作っていたら、日本テレビはこの先もジリ貧状態が続くに違いない。 ところで、ヘキサゴンファミリーを見ていて思い出すことがある。 だいぶ昔、業界では大御所といわれていた先輩から教えられた。 それは、文化や流行はおよそ18年毎に繰り返すということだ。 そんな面から考えると、確かにオバカタレントといわれる人たちが人気を獲得しているのも理解できる。 彼らはけして視聴者を笑わせているのではなく、笑われるタレントだ。 18年前を振り返ると、確かに同じようなタレントが登場し...