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2月, 2011の投稿を表示しています

今年も最悪の東京マラソン番組

市民ランナーの祭典東京マラソンが快晴の中で開催された。 日本にこれほど多くのマラソン愛好家がいるのかというほどの盛り上がり。 海外のシティーマラソンに負けずパフォーマンス命!の人々の姿も見え、都知事の目論見が当たったといえるのだろう。 それと同様に今年もCXの番組はボロボロ。 芸能人におもねるのは仕方がないが、ただ騒がしいだけで祭典の様子がまったく伝わってこない。 出走するタレント達の中には、やらされている感がプンプン匂ってくるのもいて興醒め。 お前!何様?といいたくなるシーンが随所に見られこのイベントの価値を貶めていた。 スタジオもまったく冷静さを欠き、ひたすら声のボリュームが上がる。 MCの宮根誠司は番組を取り仕切るだけの技量が感じられない舞い上がりぶり。 フロマネのカンペを見ているのだろう、視線が宙を待って落ち着きがない。 タレント達に投げかけられる「頑張っています」「頑張りました」の連呼は、彼ら以外のランナー達の汗の価値を下げるだけということが分かっていない。 市民マラソンの祭典なのだからそれなりのドラマをもった出走者も多いはず。 そうした点には目もくれられていない。 きっとそうしたネタ探しさえもされていないのだろう。 このイベントを支えているのはCXでもタレントでもなく、市民ランナーだということを忘れて、この番組の存在価値はないはずだが…。 各中継ポイントとの連絡はどうなっているのかというほどの不手際だらけ。 指揮系統がまったく機能しておらず、ほとんど放送事故といってよいほど。 とてもプロが制作しているとは思えない内容だった。 今は携帯電話やGPSが発達しているのだから、もっとしっかりした連絡回路が作れそうなものだ。 映像も相変わらずの走るタレントのアップばかりで状況が見えない。 走ることに関しては素人がどのように42.195kmに立ち向かっているのかが伝わってこない。 CXのスイッチャー、カメラマンたちは映像制作の基本をまったく理解していないのではないか。 私たちが視たいのは足が痛いたいと苦しむランナーの表情ではない。 痛む足を引きずりながらゴールを目指す強い意志に感動するし、どれほど厳しい状況なのかを推察して応援したいのだ。 事実を矮小化して、番組の浅薄化に拍車をかけてしまっていた。 こん

革命が描き出した時の流れ

チュニジアで燃え上がった革命の火はエジプトの政権を打倒。 今、リビアで火勢を強め、紅海を超えてアラビア半島のバーレーンへも飛び火した。 これらの激動はFacebookなどインターネットが火をつけたという。 独裁政権が君臨している国々の指導者たちは戦々恐々としているに違いない。 現在50歳位の年齢層以上の人たちはこれと似た世界的な変動を経験している。 東欧諸国の共産党政権を崩壊させた「1989年革命」だ。 6月にポーランドで始まった民主化は、ベルリンの壁を崩壊させ、12月のルーマニア革命へと続いた。 わずか6ヶ月で東欧諸国の民衆の蜂起は共産主義を打倒した。 そして、民主化の動きは1992年ソビエト連邦の崩壊へと続いた。 この20世紀を締めくくる社会変動のときは、テレビが大きな影響を与えた。 当時スタートしていた衛星中継は、民衆蜂起の情報をリアルタイムで世界に伝えた。 その迫真の映像が共産党国家が連鎖的に崩壊する原動力となった。 特に、ルーマニア革命では救国戦線評議会がいち早く放送局を掌握。 「国営ルーマニア放送」は「自由ルーマニア放送」となり、戦況を世界へ発信し続けた。 それ故、放送局周辺はブカレストの市街戦で最大の激戦地となった。 テレビが持つ力を顕著に表す歴史的な社会変動だった。 今回の革命で象徴的なのは、インターネットがテレビを押しのけて大きな連帯を生み出したことだ。 それは衰退の道を歩むテレビの今を象徴するようだ。 1989年革命のとき、テレビは同時性で新聞を凌駕した。 今回は、インターネットが行動を促す連鎖の原動力となってテレビのジャーナリズムに引導を渡した。 客観的事実を報道するというメディアの、ある意味、限界を露呈させた。 私は1992年ルーマニアのブカレストに取材で訪れた。 革命から3年近く経つというのに、放送局周辺にはまだ無数の弾痕が残っていた。 それは闘いの激しさと共に、革命後の復興の道の険しさを表していた。 町にあるれるストリートチルドレン。 ホームレスが住み着いた「国民の館」。 物資の不足。 テレビは「革命後」を伝える努力を怠った。 これと同じ政治的混乱が革命後の国々にも起こる可能性がある。 そこで警戒しなければいけないのはイスラム過激派や原理主義の勢力の台頭だ。 タリバ

番組をだいなしにするクローズアップ

BSフジに「 『ゲティスバーグ』〜或は、362秒で心に刻まれる最高のスピーチ〜 」という番組がある。 斬新な企画の番組を集めた「TV☆Lab」シリーズの一つだ。 毎回ユニークなキャリアの持ち主が362秒(本当にその時間かどうか分からないけど)のスピーチをする。 言ってしまえばそれだけの番組なのだが、番組サイトで語られている通り「スリリングで心を震わせる」スピーチはチャンネルを移動させない魅力がある。 リンカーンの「ゲティスバーグ・アドレス」から採ったというタイトルはいかにも構成の小山薫堂らしい。 スピーチを披露するというだけなのに、演説者のキャリアが創造した言葉は視る者の心の琴線を刺激する。 そうした独創的な企画に彼らしさが感じられる。 ただ、この番組の画作りには大いに疑問を感じる。 「表現には正誤はない。しかし巧拙はある。」と私は考えている。 そうした面から見てこの番組の表現は稚拙だ。 演説の最中、演説者のクローズアップに終始するのだ。 全ての演説者に対してそうしているので、これは演出意図なのだろう。 演説者が自分のスピーチに合わせた「物」を持ってきても、車椅子のアスリートでも全て顔のクローズアップではその人の意味がない。 この番組ではスピーチはドラマのように台詞が決まったものではないようだ。 だからカット割が成立しない世界だ。 そんな状態では「アップの和田勉」だって、映像として成立させることはできない。 カメラマンの技術も未熟だし、アップを撮るだけの美術や照明、被写界深度などの計算すらされていない。 引き画だと話が遠くなると危惧するなら、それこそ自らの技量を反省するべきだ。 アップばかりだから本当にアップで視たいところが生きない。 演出の一丁目一番地をもっと真摯に受け止めるべきだろう。 フジテレビはアップが多すぎる。 バラエティーなどでは特にそれがおもしろさを伝えられない弊害となっている。 CXのスイッチャーは画作りを知らない、と今までは思っていたが、あながちそうではないようだ。 萩本欽一さんの「笑いは二人の間にある」という言葉と共に、自分の撮った映像を再検証することを願う。 それほどこの番組はおもしろいはずだからだ。