NHKスペシャルで2週にわたり「 ONの時代 」を放送した。 戦後最大のヒーローといわれる長嶋茂雄氏と王貞治氏にスポットを当てた番組だ。 長時間のインタビューをベースに当時の映像や、二人を見つめ続けた人たちの証言で綴っていた。 第一回「 スーパーヒーロー 50年目の告白 」は現役時代の二人。 天才長嶋と努力の王といわれた二人の現役時代の栄光と、その影に隠れた並々ならぬ努力が語られていた。 第二回目「 スーパーヒーロー 終わりなき闘い 」は現役引退後監督となった二人の苦悩を見つめた。 二人共通するのは、日本中の人々の「期待」に応えようと、懸命に努力してきた姿だ。 当時の人々にとって、長嶋氏の天真爛漫な明るさに夢と希望の象徴だった。 そして王氏の真摯なまでに打撃に向き合う努力に生き方を学んだ。 対照的な二人だが、人々の期待は高まってゆく。 長嶋氏は一般の人にはボロボロになる程の練習を見せることはなかった。 しかし、人々の高まる「期待」に常に応えるべく、血みどろの努力を怠らなかったという。 それは二人が金字塔を築き上げた現役時を過ぎ、監督となってからも形を変えて彼らに圧し掛かっていた。 私たちには想像もできない重圧と苦悩がそこにあったことが語られていた。 そして互いに病に倒れる。 そんな状況にあっても彼らは人々の「期待」を担い、それが自分たちの存在価値であるかのように受け入れていた。 「期待」に応える。 そのことの重さを知っているのはきっと歴史上でもこの二人だけだったろうとさえ思う。 私は真にON時代に成長した。 王氏のような努力タイプではなく、長嶋氏の天才的なプレーと、明るさに憧れた。 自分も同じようにできるものだと、いつしか勘違いをしていた。 だが、光のあたらない部分で、長嶋氏だって辛い練習に耐えていた。 ただ、彼はそれを人々に見せてはいけないと自らを律し続けた。 脳梗塞による後遺症でしゃべることにさえ苦労する長嶋氏。 だが、その目は、過去の栄光を語る時、低迷するチームの監督として苦悩したことを語る時、彼の気持ちを雄弁に語っていた。 50年前に二人が共に泥にまみれた多摩川グラウンドに立ったときの目には、あの時に近い輝きが蘇っていた。 そして、長嶋氏がサードの定位置に立ったとき。 そして、二人揃ってバッターボックスに立った姿。 それは単に回顧というレベルではなく、様々な...
私にとってテレビとは――
遠くにある「今」を伝えるもの
それは空間的な距離だけではなく、イマジネーションの遠く…
30年以上に亘って生きてきたテレビの世界。
今その世界に別れを告げ、客観的に視ることができるようになった。
これから先、テレビはどこに行くのだろう。どうなってゆくのだろう。
そんな意識を持ちながら、テレビの今を見つめます。
ちょうど親たちの老後を心配していた時のように。