市民ランナーの祭典東京マラソンが快晴の中で開催された。 日本にこれほど多くのマラソン愛好家がいるのかというほどの盛り上がり。 海外のシティーマラソンに負けずパフォーマンス命!の人々の姿も見え、都知事の目論見が当たったといえるのだろう。 それと同様に今年もCXの番組はボロボロ。 芸能人におもねるのは仕方がないが、ただ騒がしいだけで祭典の様子がまったく伝わってこない。 出走するタレント達の中には、やらされている感がプンプン匂ってくるのもいて興醒め。 お前!何様?といいたくなるシーンが随所に見られこのイベントの価値を貶めていた。 スタジオもまったく冷静さを欠き、ひたすら声のボリュームが上がる。 MCの宮根誠司は番組を取り仕切るだけの技量が感じられない舞い上がりぶり。 フロマネのカンペを見ているのだろう、視線が宙を待って落ち着きがない。 タレント達に投げかけられる「頑張っています」「頑張りました」の連呼は、彼ら以外のランナー達の汗の価値を下げるだけということが分かっていない。 市民マラソンの祭典なのだからそれなりのドラマをもった出走者も多いはず。 そうした点には目もくれられていない。 きっとそうしたネタ探しさえもされていないのだろう。 このイベントを支えているのはCXでもタレントでもなく、市民ランナーだということを忘れて、この番組の存在価値はないはずだが…。 各中継ポイントとの連絡はどうなっているのかというほどの不手際だらけ。 指揮系統がまったく機能しておらず、ほとんど放送事故といってよいほど。 とてもプロが制作しているとは思えない内容だった。 今は携帯電話やGPSが発達しているのだから、もっとしっかりした連絡回路が作れそうなものだ。 映像も相変わらずの走るタレントのアップばかりで状況が見えない。 走ることに関しては素人がどのように42.195kmに立ち向かっているのかが伝わってこない。 CXのスイッチャー、カメラマンたちは映像制作の基本をまったく理解していないのではないか。 私たちが視たいのは足が痛いたいと苦しむランナーの表情ではない。 痛む足を引きずりながらゴールを目指す強い意志に感動するし、どれほど厳しい状況なのかを推察して応援したいのだ。 事実を矮小化して、番組の浅薄化に拍車をかけてしまっていた。 こん...
私にとってテレビとは――
遠くにある「今」を伝えるもの
それは空間的な距離だけではなく、イマジネーションの遠く…
30年以上に亘って生きてきたテレビの世界。
今その世界に別れを告げ、客観的に視ることができるようになった。
これから先、テレビはどこに行くのだろう。どうなってゆくのだろう。
そんな意識を持ちながら、テレビの今を見つめます。
ちょうど親たちの老後を心配していた時のように。