チュニジアで燃え上がった革命の火はエジプトの政権を打倒。
今、リビアで火勢を強め、紅海を超えてアラビア半島のバーレーンへも飛び火した。
これらの激動はFacebookなどインターネットが火をつけたという。
独裁政権が君臨している国々の指導者たちは戦々恐々としているに違いない。
現在50歳位の年齢層以上の人たちはこれと似た世界的な変動を経験している。
東欧諸国の共産党政権を崩壊させた「1989年革命」だ。
6月にポーランドで始まった民主化は、ベルリンの壁を崩壊させ、12月のルーマニア革命へと続いた。
わずか6ヶ月で東欧諸国の民衆の蜂起は共産主義を打倒した。
そして、民主化の動きは1992年ソビエト連邦の崩壊へと続いた。
この20世紀を締めくくる社会変動のときは、テレビが大きな影響を与えた。
当時スタートしていた衛星中継は、民衆蜂起の情報をリアルタイムで世界に伝えた。
その迫真の映像が共産党国家が連鎖的に崩壊する原動力となった。
特に、ルーマニア革命では救国戦線評議会がいち早く放送局を掌握。
「国営ルーマニア放送」は「自由ルーマニア放送」となり、戦況を世界へ発信し続けた。
それ故、放送局周辺はブカレストの市街戦で最大の激戦地となった。
テレビが持つ力を顕著に表す歴史的な社会変動だった。
今回の革命で象徴的なのは、インターネットがテレビを押しのけて大きな連帯を生み出したことだ。
それは衰退の道を歩むテレビの今を象徴するようだ。
1989年革命のとき、テレビは同時性で新聞を凌駕した。
今回は、インターネットが行動を促す連鎖の原動力となってテレビのジャーナリズムに引導を渡した。
客観的事実を報道するというメディアの、ある意味、限界を露呈させた。
私は1992年ルーマニアのブカレストに取材で訪れた。
革命から3年近く経つというのに、放送局周辺にはまだ無数の弾痕が残っていた。
それは闘いの激しさと共に、革命後の復興の道の険しさを表していた。
町にあるれるストリートチルドレン。
ホームレスが住み着いた「国民の館」。
物資の不足。
テレビは「革命後」を伝える努力を怠った。
これと同じ政治的混乱が革命後の国々にも起こる可能性がある。
そこで警戒しなければいけないのはイスラム過激派や原理主義の勢力の台頭だ。
タリバンがバーミヤンの石像を爆破した暴挙。
それが、エジプトのピラミッドやカルタゴ遺跡が残るチュニジアで起こったら…。
人類の歴史的遺産を守るためにも、テレビは革命後の各国の動きを見つめ続けなくてはならない。
それがテレビに課せられた使命のはずだ。
今回失ったジャーナリズムとしての存在価値の主張でもあると思うのだ。
昔、ペンは剣よりも強しといわれた。
東欧革命では事実は銃よりも強しを印象付けた。
ではネットは何よりも強いのだろう。
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