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ハイビジョンが強制する映像表現


明らかに新聞紙をまるめて詰めこんだボストンバッグ。
名匠黒澤明は助監督が用意したこのバッグを見て激怒したという。
彼は、脚本に書かれた旅の支度をバッグに収めていないことに憤った。

宿泊日数分の荷物がつめこまれたバッグには、当然その重さがある。
それがもたらす役者の演技の可能性の芽を、制作者が摘むことを戒めたのだ。
「雲を動かせ」ということに比べればけっして無理難題ではない。
今のドラマでは当たり前のように女性が軽々とスーツケースを運ぶ。
女優が引くスーツケースのキャスターの音が、中が空であることを宣言する。
名匠はそうした演技になることを嫌った。
リアリティー表現の原点として私がずっと心に留めていたエピソードだ。

NHKプレミアムで「BS時代劇塚原卜伝"」が始まった。
戦国時代を生きた日本を代表する剣豪の若き日の武者修行を描く。
NHKは過去に「柳生十兵衛」や「陽炎の辻」など時代劇に新しい波を作った。
劇画的な表現でチャンバラを描いたのだ。
中間的なサイズを排除して、アップとロングの切り替えしで見せた。
殺陣も従来のスタイルを捨て、力強さや、剣を振るうというそのことを際立たせて迫力を出していた。

今回の塚原卜伝の立会いもその流れの作品といってよいだろう。
堺雅人演ずる卜伝が、相手と対峙しているときの構えの緊迫感。
剣を振るうスピード感。
いずれも及第点だ。
牛若丸か忍者かと思わせるような、宙を飛んで相手を斬るという殺陣も、劇画的表現というスタンスに立てば、お笑いという域にはなっていない。

しかし、どうしても気になって仕方がない部分がある。
それは刀だ。
時代劇で使われる刀は当然本物ではなく、ジュラルミン製だ。
デジタルハイビジョンではそれを明確に映し出してしまう。
日本刀にあるはずの波形の刃紋はないのも、切先の鋭さもないことを暴露してしまう。
だから全く斬れそうではない。
そうした弱点を持ちながら、頻繁にアップが切り返され、そのたびにジュラルミンの鈍い光が画面で無用の存在感を主張する。
ましてウルトラ・ハイスピードカメラまで使用してアップを撮るという暴挙。
鼻先を通過する白刃が、葱さえ切れそうではないことを明確に自白する。
水戸黄門に代表されるようなチャンバラとは一線を画す時代劇として、これは致命的な欠陥だ。

昔、萬屋錦之助など東映の時代劇で育った俳優たちは自前の刀を持っていた。
当然刃はついていないが、鉄製で柄や鍔も自分に合わせたものだという。
本身の刀と違うのは、「切れない」ということだけだそうだ。

ジュラルミン製とは重さが違うから振り下ろした時の力の入り方が違う。
構えた時でも、それを支えるため、筋肉に緊張感が漲る。
そうしたものが積み重なって画面から緊迫感が生まれる。
だから、日々の筋力の鍛錬がたいへんだったそうだ。

BS朝日で北大路欣也の「一匹狼」を再放送している。
この作品で北大路が使っているのがこうした刀だ。
きっとご本人専用のものだろう。
東映時代劇の系譜をしっかりと受け継いでいる証しだろう。

閑話休題。
宮本武蔵と巌流島で戦ったといわれる佐々木小次郎はいつも優男だ。
だが、本当はそんなわけはないと思っている。
というのも、3尺=90cmの鉄の棒を、ツバメさえ斬って捨てるほどのスピードで操るには半端な力では無理だ。
実は筋肉隆々の偉丈夫でなければそんなことはできないはずだ。

デジタルハイビジョンはこれまでテレビの世界で見過ごされてきた妥協を曝け出す。
新たな映像表現の道を模索することを要求する。
役者にも、格好だけではない負担を強いることになる。
いまはただ、そのために時代劇というジャンルがなくなることがないように切に祈る。

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