テレビに独り言

私にとってテレビとは――
遠くにある「今」を伝えるもの
それは空間的な距離だけではなく、イマジネーションの遠く…


30年以上に亘って生きてきたテレビの世界。
今その世界に別れを告げ、客観的に視ることができるようになった。
これから先、テレビはどこに行くのだろう。どうなってゆくのだろう。
そんな意識を持ちながら、テレビの今を見つめます。
ちょうど親たちの老後を心配していた時のように。

2011年11月27日日曜日

真の日本女性は物悲しさが似合う


ワイドショーのコメンテイターとして評価を下げていた市川森一氏が、やはり脚本家としては巨匠だと納得させる作品を書いた。
NHKの土曜ドラマスペシャル「蝶々さん~最後の武士の娘~」がそれだ。
オペラ「蝶々夫人」を題材にした自らの原作を、しっとりとしたドラマに仕上げた。
日本女性の真の美しさを、明治という時代の長崎を舞台に、物悲しく、ロマンティックに描き出した。

この作品のキーワードは『葉隠』という、日本伝統の武士道の根幹となった哲学だ。
宮﨑あおいが演ずる主人公の伊東蝶(蝶々さん)は、祖母から教え込まれたこの精神をよりどころとして生きている。
フランクリンを愛するようになったのも、最後に自害したことも『葉隠』に従ったとして必然性を持たせている。
そして何より、『葉隠』に従いながら、アメリカに憧れる蝶に、古い伝統と国際化という波が鬩ぎ合う明治20年代半ばの時代を象徴させている。
さすがだ。

宮﨑あおいは、しっかりと安定した表現でこの難しい役を演じきっていた。
若いが、演技派として高い評価を得ているだけの充実感があった。
特に、ふと垣間見せる艶やかな表情は、「篤姫」からの成長を感じさせるものだった。

この作品が「篤姫」から続く宮﨑あおいの続編、あるいは一つの集大成の作品という見方もあるかもしれない。
時代に翻弄される女性を演じるという点では「篤姫」と共通する。
しかし、それはNHKの広報戦略に乗せられている様で少し悔しい。
また、田渕久美子の大河ドラマ「」と同列に扱われるのはもっと口惜しい。

田渕脚本は、あからさまな二番煎じのドラマで私たちを幻滅させた。
演出陣は上野樹里という稀有な才能を引き出すどころか、見殺しにした。
そうした駄作とこの作品は決定的に異なる、質的に対極にある秀作だ。

演出も激しい感情表現を避け、しっかりと蝶の心象を描くことに専心していた。
アップの多用は多少気になったものの、煩わしいものではなかった。
セットやCGとの合成など物理的な制約と、作品のテーマを考えれば納得できる範囲。
バックに流れる音楽にも好感が持てた。
作品全体に『葉隠』の精神が流れていることが伝わってきた。

この作品を視て、早坂暁脚本、深町幸男演出、吉永小百合主演の『夢千代日記』がオーバーラップした。
作品の底辺に流れる物悲しさと、それを引き立てる抑揚を抑えた演出がその思いを強くした。
叶わぬ愛に身を置く蝶は、原爆症で余命2年という夢千代とクロスオーバーして胸に迫るものがあった。
吉永小百合は、36歳から40歳にかけて演じたこの役で新たな境地を切り開いたともいわれている。
26歳の宮﨑あおいにとって、この作品が新たな1ページをつくりあげるきっかけとなるような予感がしたのは偶然のことだろうか。

高いレベルにある作品であるがために、難点も目立ったことは否めない。
3点ほど気になった点があった。
十分に計算された脚本と、的確な演出。
それに、秀逸な演技は、同時に視る者の感情の起伏を抑制した。
特に、蝶の自害のシーンと川平慈英が蝶の息子と分かったシーン。
それぞれ胸に迫るものだった。
しかし、感動の涙があふれるというところまではいたらなかったのが少し残念。
ただ、これは高望みかもしれない。

役者の浪費といったら言い過ぎかもしれないが、疑問に思える配役もあった。
例えば、警察署長役の伊武雅刀。
料亭でのシーンも含め、本当に必要だったのかどうか。
この他にも、一代記であるために何人もの人が関わり、彩を添える。
それら全てがストーリーに影響を与えるものとは思えなかった。

何より不満を感じたのは73分の前後編という編成だ。
時間がとても短く感じ、描きこむべきストーリーの数々が駆け足になってしまった。
そのため、フランクリンとの愛を育む過程など希薄に感じられた。
『葉隠』で括ったことに、脚本家の手腕を感じたが、同時に物足りなさも感じた。
前述のような贅肉を削ぎ落とした上で、60分の3回編成にしてほしかった。

こうした不満が心に残るということは、作品のレベルが高いということだ。
ただ、内容の充実に比べて視聴率には繋がらない作品のように感じた。
ある意味地味なイメージがしたからだ。
こうした作品がもっと支持されるくらい、視る側のレベルアップに期待したい。

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2011年11月9日水曜日

ドーショモナイ周年記念ドラマ


横浜ベイスターズの身売りが一段落したようだ。
落ち目のプロ野球の、弱小球団の買収劇は、相変わらずファンを無視したまま最終章に向かうらしい。
それにつけても、ベイスターズのオーナーだったTBSの無策ぶりはひどいものだった。
試合を放送するのことさえせず、見殺し状態で引き取り先を探すことに専念していた。
そう感じた人も少なくないだろう。

親会社のいい加減さは本業のテレビの番組にも影響しているのだろうか。
TBSの開局60周年を記念した「南極大陸」は見ているほうが恥ずかしくなる程のレベルの低さだ。
こんな前時代的で、陳腐なドラマで民放の大河ドラマと謳っている神経が疑われる。
木村拓哉を主演に、名だたる俳優陣が名を連ねていることだけで大作と考えているのだろうか。

朝日新聞の視聴室では「既視感」という言葉を使っていた。
次々と押し寄せるトラブル。
それらを人々の結束で奇跡的に乗り越えてゆく。
だが、その描き方は「サインはV」や「アテンションプリーズ」並みのものだ。

番組の公式サイトでは
日本復活の扉を開くため、そして愛する人の想いを胸に南極大陸に命がけで挑んだ一人の若き学者と、
彼と運命を共にした仲間と樺太犬との愛と絆のドラマ 「 南極大陸 」。
私達の誇る “日本” を作り、生き抜いた男たち、そして女たちの生き様を、是非見届けてほしい。
と主張する。
そのコンセプトはスタートから一度も胸に迫ってこない。
これまで各局が世に送り出した周年記念番組の中で、最もガッカリさせられた番組として記憶に残りそうだ。

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