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告知なしでは成立しない対談番組


ようやく期末期首のスペシャル期間が終わった。
新番組もほぼスタートしたようだ。

少し前、朝日新聞に萩本欽一さんが告知番組の氾濫に苦言を呈していたという記事があった。
確かに、昼の時間帯の番組表を見ると、その局の新番組のPR番組だらけだ。
新シリーズとなる同じ番組の再放送であったり、同じ俳優の出演番組だったり。
加えて、本編を放送する前にメイキング番組を制作してまでPRに努めるという節操のなさだ。
本編の前にメイキングを見せるというということが、どれほど本編の興味を削ぐことなのか理解しているのだろうか。
NHKまでもが、民放に負けじと、どぎつく同様の番組を作るのだから悲観的な状況だ。
そうした局の姿勢を、醜いととさえ感じている。

8月に亡くなった山城新伍さんは、以前「作品のNG集は見せるものではない」と主張していた。
役者も制作陣も、できあがった作品で勝負するもので、いくらPRのためとはいえそうしたものを見せるのは恥だというのだ。
私が30そこそこの頃のことだったが、その意見には賛成だった。

テレビ局が搾り出す制作費削減策と、視聴率獲得へのアイデアには恐れ入る。
だが、残念ながらその努力は正の方向に向かっているとは思いにくい。
実際、そうしたPR番組がどれ程の効果を挙げているのかは疑問だ。
冒頭の欽ちゃんの記事では、売れた番組ほどPRはしなかったという。

テレビのPRに躍起となっている姿勢が見て取れるのはそればかりではない。
いわゆる対談番組に出演するタレントはほとんどがPRが目的だ。
それは私が総合演出をしていた昼前の番組にも同じことが起こっていた。
タレントの対談コーナーの出演者探しが難航していたのだ。
タレントの側としては、対談番組に出演して自分の素顔まで晒すのは御免だという思いがある。
そこで、番組側としては何か出演してもらえるメリットを作らなければならない。
そこで、新番組や彼らの仕事のPRをさせるからというのが交換条件となった。

今はそうした裏事情はどこへやら。
もっと直接的にプロモーションが展開される。
最近ではニュースの企画コーナーとして公然と映画や新番組のPRをする。
ジャーナリズムとして取り上げなければならない現実は山ほどあるというのに…。
こうして自らメディアとしてのテレビの首を絞めている。
そうした番組を視るたびに、それがテレビの発する断末魔の叫びに聞こえてならない。

テレビ局が、そしてそこに生きる人たちが、若き日の自らのテレビにかける情熱を放棄して、その生命線を断ち切っている現実。
私にはこの行為が殺人以上に重い罪に思えてならない。

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