ジャーナリズムは体制に厳しい目を向けるべきものである。
そうすることで時代が一つの方向に流れていってしまうことを防ぐ役割がある。
だから、多くの場合体制からは目の上のタンコブのように扱われる。
テレビもまさにそうした役割を担っている。
1992年にルーマニアを訪れた。
あのルーマニア革命から約3年が経っていた。
しかし、首都ブカレストの街には弾痕が残り、ストリートチルドレンがあふれていた。
革命の最激戦地となった放送局の周りには、それこそ蜂の巣のように銃弾の痕が残された家が建っていた。
ルーマニア革命はテレビ史の中でも特筆される事件だ。
テレビが実際に進行する革命の一部始終を世界に発信し、オピニオン形成に果たす役割の大きさを知らしめた。
当然、当時のチャウシェスク政権からは敵視され、放送局の占拠をめぐって激しい攻防が繰り返された。
それ程、テレビ報道は時代を左右する力を持っているはずだ。
ところが、昨今のテレビ報道に目を向けると、その質の低さに呆れてしまう。
今年は政権交代の年。
民主党を中心とした連立政権の動向に目を光らすのは当然のことだ。
なのに、今テレビニュースでの取り上げられ方は、新聞でいえばタブロイド版のような低レベルのものばかり。
その最たるものが、事業仕分けに対する報道だ。
スーパーコンピューター関連費用について「なぜ2番目ではいけないのか」のみを繰り返し取り上げている。
そこでは蓮舫議員の質問に答える官僚の発言はない。
これでは、こんな質問を投げかける蓮舫議員の非常識さしか伝わってこない。
本来問題なのは、この質問に明確に答えられない文部科学省の官僚ではないのか。
1番を目指すしっかりとした理由を主張できないのに数百億円の税金を請求する無神経さだと私は思うのだが、それは取り上げられない。
もっといえば、そうした官僚のいうがままに金を使ってきた過去の政権に目を向けないのはなぜだろうか。
私には意図的な作為にすら思える。
鳩山首相の優柔不断ぶりを挙げ諂い、小沢幹事長が豪腕を振るって政権に干渉していると煽り立てる。
内閣の支持率の低下を喜ぶかのように各社で取り上げる。
その取り上げ方には、ワイドショーでゴシップを取り上げるのと差がない。
ただひたすら小沢幹事長を悪役に仕立てているだけでよいと考えているのだろうか。
ニュースを見るたびに、故筑紫哲也氏が生きていたらどのように新政権を見つめるかと思ってしまう。
このままでは、テレビニュースはイエロージャーナリズムのレベルに堕してしまう。
もう一度しっかりとメディアとしての本質を見極め、報道の真髄に立ち戻るべきだ。
そうして、国民のオピニオン形成の一役を担えるレベルの内容で、しっかりと事実を伝えて欲しいと思う。
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