2月13日バンクーバー冬季オリンピックが始まった。
開催前からスノーボードの国母選手の身だしなみが問題になった。
一般の人が問題視し、それにマスコミが乗って火に油を注いだということのようだ。
開会式前にして記者会見で謝罪会見。
スキー連盟は出場辞退まで橋本聖子団長に具申したという。
団長の裁決で出場を決めたというのを知りほっとした。
ただ、開会式には参加していなかったのか、画面を注目したが姿を確認できなかった。
競技に集中したい時にバカな雑音に翻弄された国母選手がかわいそうだと思う。
メダルも期待される逸材の成績に影響がでないことを祈りたい。
だらしがないとクレームをつけた人の行為には呆れる。
人の個性を中傷する愚かな行為だと思う。
だが、彼のファッションをだらしないと見るか、個性と見るかは個人の勝手だ。
それを主張する権利は全ての人が持っている。
それよりも、そんな声に乗っかるマスコミに危機感を感じている。
それは、有能な若いアスリートの活躍の場を奪いかねない状況を作ったというだけではすまない。
マスコミが「大衆の声を代弁する」という看板を掲げた時、もっと大きな問題を生み出す可能性を孕む。
それは社会や国家を動かす力として機能してゆく。
私たちは過去にそうした歴史を見てきている。
もし、そこに一つの作為があったとしたら…。
そんなことも考えず、大問題のように取り上げるマスコミに警報を鳴らさずにはいられない。
それはさておき、私が気になっているのはスポーツマンたちの発する言葉だ。
例えば、野球のお立ち台で、「これからも応援よろしくお願いします」なんていう発言がある。
正しくは「これからも応援してください。よろしくお願いします。」だろう。
今回のオリンピックの出場選手たちの発言で目立つ言葉遣いがある。
「頑張りたいなーと思います」。
この「なー」が妙に引っかかる。
妙に軽く感じてしまうのは私だけだろうか。
今は、アナウンサーまでこの語法を使う。
「なー」は私たちオヤジの用法としては、例えば独り言のときに使う言葉だ。
「もう会社辞めたいなー」のように使う。
「頑張りたいと思います」の方がストレートに語る人の意思が伝わると思うし「頑張ります!」といってくれた方が、より強く意志が感じられる。
まあ、今の若者達独特の謙虚さを含んだ表現だと思うのだが、どうもスッキリしない。
以前にも書いたけれど、言葉は生き物だ。
時代と共に変わっても不思議はない。
私自身、「超うれしい!」のときの「チョー」は語る人の気持ちを短く、強く伝えられると思って、歓迎している。
それが出陣の際に「頑張りたいなー」では応援の熱も盛り上がりに欠ける。
ここは「精一杯頑張ってきます。応援してください!」と潔くいって欲しいものだ。
表現というのに正誤はないと昔から思っている。
だが、巧拙ということはある。
その意味から「なー」は応援を求める言葉としては巧みな表現とはいえないだろう。
「超○○」や「KY」という上手い表現を創造した若者にしては見直すべき言葉のように思えてならない。
一般人が考えられないような過酷な鍛錬によって養った技術。
極限まで研ぎ澄ました神経を集中させて競技に立ち向かう選手だ。
それだけにもっと強い意思を主張してもらいたいと思う。
だからといって、出場資格まで云々するつもりは毛頭ないが…。
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