スキップしてメイン コンテンツに移動

低調の度を増す新ドラマ


このところ仕事の関係からテレビを見る機会が極端に減っている。
とはいうものの、テレビが点いている時間は他の人より長いに違いない。

そんな中、今日22日の夜は久々にテレビドラマを視た。
そして、残念ながらガッカリした。

夜9時からはテレビ朝日の「臨場」。
主演は内野聖陽さんで、倉石義男という鑑識課の検視官を演じている。
他人の見立てに対して「俺のとは違うな」が口癖で、上司にも平気で盾を突く。
その設定にまずガッカリ。
役作りに厳しいといわれる内野さんに主演してもらうためとはいえ、設定自体に首をかしげるようではドラマの世界に入り込むこともできない。
大体、上司や捜査一課の刑事達にも楯を突くというのはどうなんだろう。
せめて、沢口靖子さんの「科捜研の女」のような独自のこだわりを持った検視官という設定でドラマにできなかっただろうか。

それに、検視官とか鑑識課という設定にももう飽きてきた。
検死については以前高く評価したCXの「VOICE」があっただけに、もうできったという感は否めない。

また、内野聖陽さんの演技も前作の「ゴンゾウ~伝説の刑事~」の黒木とあまり変化がない。
彼ほどの役者であれば、もっとオリジナリティーのある役柄を要求しても不思議ではないと思うし、その分新たな役作りにもチャレンジして欲しいと思う。

続いて、日本テレビの「アイシテル」を視た。
今注目している稲森いづみさん主演のドラマだ。
5年生の少年が子供を殺害したというショッキングな事件を通して、加害者と被害者の家族を描いてゆくという。
番組サイトによると、ヒューマンドラマで、家族の愛の物語だそうだ。
そして見た人に家族のあり方や子供との向き合い方を考えてほしいという。

ところが、ショッキングなテーマと設定を捉えたにもかかわらず、描き方は平板。
ストーリー展開にしても、予想を裏切ることなく進む。
そして、それぞれの出演者の演技も単調で“いかにも”というありきたりなものだった。

第2話までのところでは、君塚良一監督作品の映画「誰も守ってくれない」が描いてみせたほどの緊迫感もなく、リアリティーもない。
社会の矛盾という面にも切り込めていない。
二番煎じといわれても、「誰も守ってくれない」が見せてくれたドキュメンタリータッチの映像化という手法をとっても良かったのではないか。
その中でテレビ的な表現を見出して欲しかった。

いずれの番組も予想通りのストーリー展開で、胸をうたれるものがない。
残念ながら、理念は尊重するが形になっていない寂しいできばえのドラマだった。

コメント

このブログの人気の投稿

笑われるタレントの時代がまたやってきた

「 クイズ・ヘキサゴンⅡ 」が絶好調のようだ。 それは視聴率の面からだけでなく、番組の勢いという面、制作サイドと出演者の疎通という面なども含めてのことだ。 それは島田紳助さんがヘキサゴンファミリーと、主なレギュラー出演者たちを呼ぶなどからしても、よい空気感が伝わってくる。 少なくとも今のところは出演者それぞれが存在感を得ている。 その正月特番で、この番組から誕生した羞恥心が音楽活動を休止することになった。 真に2008年を疾風のごとく日本中を席巻し、1年足らずの間で音楽界に一つの足跡を残す活動をしたといえるだろう。 番組が生んだ副産物とはいえ、その勢いはたいしたものだった。 この番組が生み出した『オバカタレント』は芸能界に新たな1ジャンルを築いたことも見逃せない。 今までクイズ番組といえばANBの「 クイズ雑学王 」のように正解率の高いに人にスポットライトが当たるものだった。 しかし、ヘキサゴンではタレントたちの無知さを笑いの種とすることでオリジナリティーを勝ち得ている。 ただ、羞恥心をはじめPaboのメンバーたち、残念ながらオバカのほかにこれといったキャラクターがないようで、他の番組に出てもまったくおもしろくない。 紅白歌合戦でも四文字熟語などいわされていたが、会場から笑いを誘うことはなかった。 やはり島田紳助さんの父親の愛すら感じさせつつの突込みがあってこそ生かされているということだろう。 そんなブームに肖ろうというのだろうか、日本テレビが1月3日に「 おとなの学力検定スペシャル 小学校教科書クイズ!! 」なる番組を放送していたが、これが惨憺たるでき。 単なるパクリで、局の姿勢を疑いたくなるような番組だった。 ヘキサゴンファミリーのメンバーも出演していたが、まったく持ち味が生かされていなかった。 こんな番組を作っていたら、日本テレビはこの先もジリ貧状態が続くに違いない。 ところで、ヘキサゴンファミリーを見ていて思い出すことがある。 だいぶ昔、業界では大御所といわれていた先輩から教えられた。 それは、文化や流行はおよそ18年毎に繰り返すということだ。 そんな面から考えると、確かにオバカタレントといわれる人たちが人気を獲得しているのも理解できる。 彼らはけして視聴者を笑わせているのではなく、笑われるタレントだ。 18年前を振り返ると、確かに同じようなタレントが登場し...

ハイビジョンが強制する映像表現

明らかに新聞紙をまるめて詰めこんだボストンバッグ。 名匠黒澤明は助監督が用意したこのバッグを見て激怒したという。 彼は、脚本に書かれた旅の支度をバッグに収めていないことに憤った。 宿泊日数分の荷物がつめこまれたバッグには、当然その重さがある。 それがもたらす役者の演技の可能性の芽を、制作者が摘むことを戒めたのだ。 「雲を動かせ」ということに比べればけっして無理難題ではない。 今のドラマでは当たり前のように女性が軽々とスーツケースを運ぶ。 女優が引くスーツケースのキャスターの音が、中が空であることを宣言する。 名匠はそうした演技になることを嫌った。 リアリティー表現の原点として私がずっと心に留めていたエピソードだ。 NHKプレミアムで「 BS時代劇塚原卜伝" 」が始まった。 戦国時代を生きた日本を代表する剣豪の若き日の武者修行を描く。 NHKは過去に「柳生十兵衛」や「陽炎の辻」など時代劇に新しい波を作った。 劇画的な表現でチャンバラを描いたのだ。 中間的なサイズを排除して、アップとロングの切り替えしで見せた。 殺陣も従来のスタイルを捨て、力強さや、剣を振るうというそのことを際立たせて迫力を出していた。 今回の塚原卜伝の立会いもその流れの作品といってよいだろう。 堺雅人演ずる卜伝が、相手と対峙しているときの構えの緊迫感。 剣を振るうスピード感。 いずれも及第点だ。 牛若丸か忍者かと思わせるような、宙を飛んで相手を斬るという殺陣も、劇画的表現というスタンスに立てば、お笑いという域にはなっていない。 しかし、どうしても気になって仕方がない部分がある。 それは刀だ。 時代劇で使われる刀は当然本物ではなく、ジュラルミン製だ。 デジタルハイビジョンではそれを明確に映し出してしまう。 日本刀にあるはずの波形の刃紋はないのも、切先の鋭さもないことを暴露してしまう。 だから全く斬れそうではない。 そうした弱点を持ちながら、頻繁にアップが切り返され、そのたびにジュラルミンの鈍い光が画面で無用の存在感を主張する。 ましてウルトラ・ハイスピードカメラまで使用してアップを撮るという暴挙。 鼻先を通過する白刃が、葱さえ切れそうではないことを明確に自白する。 水戸黄門に代表されるようなチャンバラとは一線を画す時代劇とし...

我が家の大事件!大丈夫か?!テレビ

久々のブログ更新だ。  年齢を重ねて、ブログというのが億劫になったこともある。 だが、それ以上に、ここで取り上げたいような番組に出会わなかったのが最大の理由。 それは当然と言えば当然で、ここ数年、スポーツ中継とごく一部のドキュメンタリー以外の番組はほとんど視ていない。 スポーツ中継が下手になったということを書いてしまったし、 ぜひ見たいと思う番組は一週間で5本もない状態では、書くネタがないのも致し方ない。 今日、2014年の大晦日。 我が家で考えられないことが起こった。 なんと まだ一度もテレビのスイッチが入っていない。 実際には30日の夜からだから、優に24時間以上テレビが写っていないことになっている。 今日はもうテレビをつけたくなるような番組がないから、このままおやすみなさいとなるに違いない。 我が家では、どんな時でも、テレビがついているのは当たり前。 どんなにつまらない番組ばかりとしても、テレビは点いていたのだ。 音は生活ノイズと化し、画面は眼に映る景色の一部のように、私が家にいる間はスイッチはONになっていた。 それがついに究極の事態に陥ってしまった。 見たい番組がない。 地上波はもちろん、BSでも…。 こんな日が来るとは思ってもいなかった。 私にとって、テレビが死んだ日になった。 これは大ショックなことだ。 なぜこんなことになったのだろう。 番組が面白くない、見たいと思わない、レベルが低い…。 その責任は誰にあるのだろう。 そこのところを、この正月休みにじっくりと考えてみよう。 次回のブログのテーマとなるかも知れない。 ともあれ、明日元旦は実業団駅伝。 2日と3日は箱根駅伝があるから、我が家のテレビもすぐに生き返ってくれるだろう。 でも、きっと実業団駅伝はTBSの中継の下手さに、またイライラが募るに違いないな。