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もう一度視たい「遺恨あり」


ノンフィクション作家の沢木耕太郎に「テロルの決算」という本がある。
1960年日比谷公会堂で演説中に刺殺された浅沼稲次郎と、犯人である右翼少年山口ニ矢を描いた。
ルポライターの眼で、二人の人生をギリギリまでドキュメントした秀作だ。

2月26日のテレビ朝日「遺恨あり」を視た。
日本で記録に残る最後の仇討ちを果たした臼井六郎の実話を基に描いたドラマだ。
この作品を視ながら「テロルの決算」と通じるものを感じた。

それは刺殺やテロという題材にではない。
ストイックに仇討ちに突き進む臼井六郎の描き方。
明治維新と安保闘争いう、価値観が激動した時代に押し流される一人の人間。
そして、対象と正面から向かい合い、事実を伝えながらその信条まで描き出したクリエイターの眼。
源孝志演出はドラマというジャンルでありながら、それをドキュメンタリーのように坦々と映像化していた。
「テロルの決算」も「遺恨あり」も従来のジャンル分けを意味のないものにする力を持っていたのだ。

主演の藤原竜也は仇討ちを決意した青年を好演。
抑揚を押し殺した中にもギラギラと光る眼光の鋭さを湛えた演技は、六郎の信念を見事に表現していた。
やっぱり秀逸な演技者だと納得させられた。
判事を演じた吉岡秀隆も、仇討をいかに裁くべきかと葛藤する姿を的確に伝える演技だった。
ここ数年、彼の持ち味に反する演技でスランプを感じさせたが、今回の作品は期待を裏切らなかった。

この作品の対極にあるのがNHKのBShiの「プレミアム8」の『トライ・エイジ~三世代の挑戦~』だ。
「三代続けて業績を挙げ、日本近代史に足跡を残した家族の人生をたどるドキュメンタリードラマ」だと謳う。
その第一回「島家三代の物語」を視たが、ドキュメンタリーとドラマが分離して主張すべきところを殺しあっていた。
なんとも中途半端で、一人の役者が3代を演じるというのも、企画倒れ。
緒形直人の演技も作品になってみると、そのことの意味が伝わってこなかった。

「遺恨あり」は、改めてドラマだドキュメンタリーだというジャンル分けに意味がないことだと実証している。
従来のジャンルにこだわらないという主張の中で生まれた≪ドキュメンタリードラマ≫。
だが、こだわらないと主張するほど、実はこだわっているのだということを忘れている。
テレビマンユニオンはこの手法を最初にとったという自負もあってか、未だにこの種の番組を作る。
それよりは表現の原点に戻って、とことんまで対象と向き合い、描き出すことに専念すべきだ。
それを見事にやってのけたホリプロの作品があるのだから。

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