スキップしてメイン コンテンツに移動

レベルが下がった仮装大賞


1月8日日本テレビの「全日本仮装大賞」を視た。
6年ほど前までこの番組の制作協力会社側の責任者として、制作現場に携わっていた番組だ。
多分7年間ほど担当していた。
その頃は年間3回の放送で、放送が終わるとすぐに地方予選が始まり、毎週土日は地方出張だったことを思い出す。
高速で流れるクレジットを見る限りでは、スタッフの顔ぶれがだいぶ若返ったようだ。
それにあわせてか、審査員も5人になり、余分な彼等の仮装もなくなっていた。
ずいぶん様変わりしたものだ。
ただ、構成作家陣は喰始さんや鈴木しゅんじさんなどなじみの名前が並んでいたのにはチョットホッとした。
それに、梶原君や三井君、松原さん、飯塚さんなど常連といわれる出場者たちも懐かしかった。
ただ、当然のことながら、みな年をとって老け込んでいたけれど。
まあ、時の流れを考えれば当然といえば当然だ。

さて、5年ぶりに番組を視ての第一印象は、作品のレベルが下がったということだ。
私が担当していた頃なら採用されることはなかっただろう作品がいくつも出ていた。
番組サイトの掲示板には「もう少し合格者が多くてもよい」という意見があった。
しかし、レベルが下がった分不合格になるグループが多くなるというのは致し方ないことだ。
それより、満点を取ったグループが少ないということにレベルの低下が表れていると見たほうがよいのではないか。

仮装大賞は、体を使って「何か」に見えるようにすることが基準だ。
だから、人間に仮装するとか、装置や背景などを動かすだけというのは予選段階からもれていた。
それが今回はいくつかそうした作品が登場していた。
制作スタッフの若返りに合わせて、基準も変わったのかもしれない。

それと、以前ほど作品の完成度や演技に番組からの指導が少なくなっているのではないか。
セットや背景などの作りが荒い部分が目立った。
また、演技にしても無駄な動きがあった作品もあった。
もっと動きを細かく指導すればもっとよい作品になるだろうと思われるものもいくつかあった。
私が参加していた頃は、本戦出場が決まってからが最後の追い込みで、演技内容について細部まで指導していった。
それはエキセントリックなほどだった。
地方の出場者の場合、その練習している場所まで行っていたのだが、今回の作品を見る限り、そこまでの完成度を求めた作品は感じられなかった。
これも制作費の関係なのだろうか。

ただ、こうした出場者のレベルの低下を一概に悪いこととは捉えていない。
作品のハードルが下がることで、一人でも多くの出場希望者が増えることは大切なことだ。
実際、私が担当していた頃、出場者の考えがそのまま作品になることは90%以上の確率でなかった。
予選で見せてもらった演技の中のホンのちょっとしたアイデアを、番組のスタッフが膨らませて作品になるように指導していった。
それはきっと今も同じだろう。
だから、出場者が増えるということは新しいアイデアに出会うケースも増えるし、特殊な技能を持った人に出会えるチャンスも増える。
その頃は、作品のレベルが高くなることが視聴率につながると考えていたが、今回の放送でどうなるか。
制作スタッフも、局も常に右肩上がりを期待できない番組であるという現実は直視しなくてはならないだろう。
その分、この番組を大切にする心があるなら、こうした一歩下がって二歩上がる的な傾向を見守って欲しいと思う。
視聴者参加番組はいまやNHKの「素人のど自慢」とこの番組だけだ。
優勝の常連である梶原比出樹君がいっていた。
「仮装大賞は一般人が1分間テレビの主役になれる、夢が叶えられる番組。ぜひ長く続けて欲しい。」
この声を日本テレビはどう捕らえるか。
もう10年以上前から燻る番組終了の声をどう治めるか期待したい。

ただ、どうしても一つ心配なことがある。
それは番組制作サイドのレベルの低下だ。
今回の映像は必ずしも褒められたレベルではない。
真に、作品を大事にしているとは思えないカット割などがあったことを反省して欲しい。
実はこんなことから番組の命は短くなるものなのだ。

コメント

このブログの人気の投稿

そろそろ勇者の出番では?

テレビ朝日の長寿番組「 徹子の部屋 」。 いったいいつまで続くのでしょう。 スタートしてからもうすぐ33年にもなろうとしているのだそうです。 司会の黒柳徹子さんは、日本のテレビ史を語る上で欠くことのできない人だ。 テレビの創成期から活躍され、この番組以外でも多くのテレビ史に残る番組にも出演された。 今も語り継がれるTBSの「ザ・ベストテン」や今もユニークな発想で高正解率を誇る「世界不思議発見」などユニークな企画を一層際立たせる実績を作った。 この他にも局をまたいで大きな貢献をされたことは、長く語り継がれるべき偉業だ。 ただ、ここ数年「徹子の部屋」の衰えぶりは目を覆うほど、過去のきらめきを失っている。 その大きな要因は、残念ながら徹子さんのお年だろう。 もう75歳、四分の三世紀も生きていることになる。 特色のひとつであるあの早口は、入れ歯のせいか、滑舌を云々できるほどのレベルではなく、もはや聞きづらい。 加えて、ネタ帳から次の話題を探しているのだろう、「あの、ほんとに」が連発される。 そして最も衰えを感じざるを得ないのは、ゲストの話を聞かないこと。 時には話をぶった切ることも珍しくはない。 細かいことをいうと、CM前に「それではここでコマーシャル」を何度繰り返しいうことか。 これだけの時間があれば、もう1ネタくらいゲストの話が聞けるのに…と思うほどだ。 確かに、固定視聴者の多くは徹子さんを視に来ている人も少なくないかもしれないが、やはりゲストの話の方が重要でしょう。 番組の舞台裏ではゲストへの徹子さんの心遣いは細部まで考えられているという。 あのタマネギ頭も、毎日徹子さんのヘアスタイルが変わると、視聴者の目が徹子さんに行ってしまって、ゲストがないがしろになるということから考えられたそうだ。 Wikipediaの「 徹子の部屋 」の項目にそれらのことが記されている。 それほどまで考えられていた「おもてなしの心」が、今は形骸化しつつある。 それは、きっとこの番組にかかわる誰もがもう何年も前から感じていることなはずだ。 制作担当者だからこそ強く感じていたはずだ。 ならば、誰かそろそろ勇気を出して、降板(番組終了)という鈴をつけても良い時期ではないか。 この時間、NHKでは「 スタジオパークでこんにちは 」というトーク番組が編成されている。 そこでは武内陶子さんが、NHKのア

篤姫が終わってしまった

NHKの大河ドラマ「篤姫」が最終回の放送を終えた。 1時間15分の延長バージョンとしては駆け足で、明治維新の15年間を生きた篤姫の晩年を描いていた。 佐藤峰世演出はそれでも、十分に視聴者に気持ち良く泣くことができるよう計算されたものだった。 本当は、大奥を出てからの天璋院はかつて仕えた女中たちの生活のために骨身を惜しまずに奔走したという。 死を迎えたときには、当時の金で3円程度しか手元に残っていなかったそうだ。 その辺りのところももう少し見たい感じもしたが、それは大河ドラマとしては難しかったのだろうか。 ドラマでは、あくまでやさしく送り出すところが描かれたのみだったのはちょっと残念だった。 「篤姫」はここ数年視聴率的に凋落する大河ドラマで驚異的な数字を記録した。 ついにはNHKが全日視聴率でTopになる原動力ともなった。 幕末を描いた作品は、あの三谷幸喜脚本で香取慎吾を起用した「新選組」でさえ視聴率的には苦戦していたという。 それは、やるせないほど殺伐とした時代が見る人に救いがなかったからに違いない。 ところが今回は女性層の支持を受けて、誰も想像できなかった程の数字を記録してしまったのである。 今回はその成功の源となったところを制作者としての立場から分析してみよう。 まず、第一に「篤姫」成功の根底には、篤姫の人生を分かりやすく線を引いていったところを見流すわけには行かない。 例えば、「篤姫」の1年間は篤姫の成長と共に、笑い、叫び、泣きという言葉で区切ることができる。 島津本家に養女に出るまでの於一時代の笑い期。 養女となってから家定が薨去するまで、篤姫の時代の叫び期。 そして天璋院となってからの泣き期だ。 そして、そのそれぞれの時代に篤姫に強くかかわり、影響を与えた人たちを作った。 それは佐々木すみ江さん演じる菊本であったり、松坂慶子さん演じる幾島であったり、北大路欣也さんの勝海舟であった。 こうした人たちとのかかわりの中で、成長し、変わってゆく篤姫を分かりやすく見せたところは見逃すことができない。 その存在感の大きさは、1年間「篤姫」を支えた瑛太の小松帯刀や西郷吉之助(小澤征悦)、大久保正助(原田泰造)に匹敵するほど大きなものだった。 もう一つ特筆しなければならないのはキャスティングの妙だ。 前作、「風林火山」は山本勘助役の内野聖陽はじめ、武田信玄の市川亀治郎など

笑われるタレントの時代がまたやってきた

「 クイズ・ヘキサゴンⅡ 」が絶好調のようだ。 それは視聴率の面からだけでなく、番組の勢いという面、制作サイドと出演者の疎通という面なども含めてのことだ。 それは島田紳助さんがヘキサゴンファミリーと、主なレギュラー出演者たちを呼ぶなどからしても、よい空気感が伝わってくる。 少なくとも今のところは出演者それぞれが存在感を得ている。 その正月特番で、この番組から誕生した羞恥心が音楽活動を休止することになった。 真に2008年を疾風のごとく日本中を席巻し、1年足らずの間で音楽界に一つの足跡を残す活動をしたといえるだろう。 番組が生んだ副産物とはいえ、その勢いはたいしたものだった。 この番組が生み出した『オバカタレント』は芸能界に新たな1ジャンルを築いたことも見逃せない。 今までクイズ番組といえばANBの「 クイズ雑学王 」のように正解率の高いに人にスポットライトが当たるものだった。 しかし、ヘキサゴンではタレントたちの無知さを笑いの種とすることでオリジナリティーを勝ち得ている。 ただ、羞恥心をはじめPaboのメンバーたち、残念ながらオバカのほかにこれといったキャラクターがないようで、他の番組に出てもまったくおもしろくない。 紅白歌合戦でも四文字熟語などいわされていたが、会場から笑いを誘うことはなかった。 やはり島田紳助さんの父親の愛すら感じさせつつの突込みがあってこそ生かされているということだろう。 そんなブームに肖ろうというのだろうか、日本テレビが1月3日に「 おとなの学力検定スペシャル 小学校教科書クイズ!! 」なる番組を放送していたが、これが惨憺たるでき。 単なるパクリで、局の姿勢を疑いたくなるような番組だった。 ヘキサゴンファミリーのメンバーも出演していたが、まったく持ち味が生かされていなかった。 こんな番組を作っていたら、日本テレビはこの先もジリ貧状態が続くに違いない。 ところで、ヘキサゴンファミリーを見ていて思い出すことがある。 だいぶ昔、業界では大御所といわれていた先輩から教えられた。 それは、文化や流行はおよそ18年毎に繰り返すということだ。 そんな面から考えると、確かにオバカタレントといわれる人たちが人気を獲得しているのも理解できる。 彼らはけして視聴者を笑わせているのではなく、笑われるタレントだ。 18年前を振り返ると、確かに同じようなタレントが登場し