2月23日のNHKスペシャル「 菜の花畑の笑顔と銃弾 」を視た。 昨年8月にアフガニスタンで殺害された伊藤和也さんの活動を描いた番組だ。 伊藤さんの遺した写真とメール、現地で共に働いた人たちのコメントで彼の足跡を辿っていた。 彼は写真という道具と手段によって現地に溶け込んでいった。 子供たちを写した写真はその過程を物語る。 最初に作った水路に水が通った時、同僚と喜ぶ伊藤さんの笑顔に日本人とアフガン人の差はなくなっていた。 サツマイモを作るための試行錯誤、不作の報告はアフガン人以上に切迫した状況と焦り伝えていた。 それは、ひとりの青年の活動の軌跡だけでなく、アフガンの過酷な自然と戦争が生み出す悲惨な現実を描き出していた。 番組の終盤。 伊藤さんの墓を掘るアフガンの人々。 一面の菜の花畑を背景にした子供達の笑顔。 そんな一つひとつのカットに伊藤さんと現地の人々との心の交流が感じられた。 そして新たな農場で現場監督となった、伊藤さんと働いたアフガン人を紹介するときの言葉。 「彼はイトーと一緒に働いていた人だ」 その一言が現場で作業するアフガン人たちの信頼を得る最も簡単で、確実なものだったことになぜか安堵した。 最後にそのアフガン人が語った言葉。 「イトーはいろいろなことを教えてくれた。学んだことはみんなに広めてゆく」。 力強く語った彼の表情に伊藤さんの生きた証しを見た。 アフガニスタンに対して本当にしなければならないことは何か。 軍事的な圧力によるゲリラやテロの根絶という方法は本当に正しいのだろうか。 伊藤さんと働いたアフガン人たちが語ったいくつかの言葉が印象に残る。 「作物ができればこの国のほとんどの問題は解決する」 「日本軍が来れば、日本人が狙われる」 これは伊藤さんが現地の厳しい自然に立ち向かい、苦闘した成果と、銃弾による非業の死の無念さを自問したものに感じられた。 そして、伊藤さんが築き上げつつあったアフガン人たちとの信頼関係と乖離した国際政治に対するメッセージとして私の心に響いた。 日本は、日本人は何をすべきか…
私にとってテレビとは――
遠くにある「今」を伝えるもの
それは空間的な距離だけではなく、イマジネーションの遠く…
30年以上に亘って生きてきたテレビの世界。
今その世界に別れを告げ、客観的に視ることができるようになった。
これから先、テレビはどこに行くのだろう。どうなってゆくのだろう。
そんな意識を持ちながら、テレビの今を見つめます。
ちょうど親たちの老後を心配していた時のように。