以前、フジテレビの「ありふれた奇跡」が低調な作品だということを書いた。
設定やら台詞回しに疑義を唱えた。
とはいえ、巨匠の作品だからというので新しい動きが起きるだろうと半ば期待して見続けていた。
しかし、もう限界。
山田太一さんの作り出す世界についていけなくなった。
まず、山田作品独特のあの台詞の展開。
A 「(断片的な短い台詞)」
B 「はい」
A 「(前の台詞に続く短い台詞)」
B 「はい」
という繰り返しのことだ。
それが山田作品全てに流れる独特のオリジナリティーなのだといわれればそうなのだが、私にはこのテンポは耐えられない。
まだるっこしくてイライラしてくる。
Bの「はい」に意味があるのだろうか。
テンポは壊すし、キャラクターの存在感にもなんら貢献しているわけではないと思うのだがどうだろう。
どなたかこのやり取りの意味を教えて欲しい。
頻繁に繰り返されるこの掛け合いに気がとられてストーリーに気持ちが入らない。
たまには違う描き方というのはできないものだろうか。
それから、前回あたりからストーリーが大きく動き始めた。
だが、これもまた納得がゆかない。
先週は主人公の母親の不倫。
そして今週は父親の女装という隠された趣味が明らかになった。
その女装仲間が偶然主人公と交際するようになった男の父親だというのだ。
そんな不均衡な状況にある家庭が平穏を装っているところを暴いているということなのだろう。
社会派といわれている山田太一作品ならではの、病んだ状況を描き出していると判断しなければならないのだろうか。
ただ、先日も書いたけれどこういう設定ってどうなのだろう。
私にはなんとも古臭いものに思えてならない。
1970年代の学園闘争華やかなりし頃の映画ではこうした展開がよく見られたように思うのだが。
何も恋人の父親同士が女装仲間だなんて…。
設定が苦しくありませんか???
それともう一点。
山田作品にお約束の出演者たちも苦言を呈したい。
橋田壽賀子作品には泉ピン子さんのように、山田太一作品には八千草薫さんと井川比佐志さんが付いてくる。
特に、井川さんは演技派でどんな役でもこなしてしまうから逆に質が悪い。
個人的には昔からとても好きな部類に入る役者さんで、この人が脇を固めていると本当に締まった作品になる。
そのせいもあって、山田作品に頻繁に出演しているということなのだろう。
脚本家からのリクエストなのかな?
個人的にはもうちょっとキャスティングに冒険してくれても良いだろうに…と思ってしまう。
というわけで、おもしろくなさに耐えながら視ていたのだが、今回の途中でついにGIVE UP。
前回一緒に書いたTBSの「ラブシャッフル」も2回目の途中でさよならした。
巨匠といわれるレベルの作品だっただけに期待していたのだが残念な結果に終わってしまった。
これから暫くは「VOICE~命なき者の声~」と「メイちゃんの執事」を楽しもう。
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