以前に触れた「最近のテレビは面白くない」というブログについて、もう1点、最も大切なことを書くのを控えていた。
それは、テレビがつまらなくなっている原因は視聴者にもあるということだ。
テレビの歴史で、主婦連などの団体からの圧力に怯えながら番組を作っているという面を無視することはできない。
テレビが表現の自由を楯にそうした圧力に抗っても、スポンサーがその圧力に屈する。
昭和40年代から50年代にかけて「低俗番組」というレッテルを貼られて消えていった番組がいくつあったことか。
それが、次第に斬新な企画は採用されないようになり、「常識」の枠を外れた演出は今や処分の対象にさえなるようになっている。
そうしたテレビ局の姿勢は『視聴者サービス』という部署のポジションの変転が明確に語っている。
私がテレビの世界に入った頃、視聴者からの問合せや、苦情・クレームの電話は番組のデスクにかかってきた。
その後、視聴者サービスという名のクレームや問合せを受付ける部署ができた。
そこは定年を目前にした人たちの最後の働き場所だった。
視聴者から寄せられた電話を受け付けて、その内容を担当部署にまわすのが主な仕事だった。
今は担当部署を経ることなく、即役員会にかけられるようになっている局もある。
厳しい苦情やクレームがついた番組のスタッフは担当番組を変えられたり、配置転換など処分を課せられることも少なくない。
視聴者の声にビクビクしながら番組を作っているのがテレビの現状だ。
その証しに今はもう「低俗番組」なんていう言葉が新聞などで躍ることはない。
そしてそれと引換えに、テレビをベースにした大衆文化は盛り上がりを失い、とても常識的なお笑いタレントばかりが登場してくるようになったといえなくもない。
消費者団体はもとより、日本人はいろいろなものをジャンル分けしてレッテルをつけるのが好きだ。
「低俗番組」というのもその一つだ。
そのジャンルに括られた作品がどんなに優れた表現をしていても、そこに出演する役者がどれほど素晴らしい演技をしても、正当には評価されない。
先日、映画「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞した。
この作品の監督、滝田洋二郎氏はピンク映画出身だ。
滝田監督は蛍雪次郎さんと組んで「痴漢電車シリーズ」をはじめ、コミカルでユーモラスなピンク映画を数々世に出していた。
軽妙で洒脱なタッチの演出は山本晋也監督作品の流れを汲んで、カラッと性を描き出していた。
作り手が「人」を描く際に、その作品がどんなジャンルかといったことに左右されるとは思えない。
痴漢の王道と美学を追い求める男と「おくりびと」の主人公との間に差はないはずだ。
主婦連の人たちはピンク時代の作品を見て、滝田監督をどう評価するのだろうか。
多くの人はピンク映画やAV(ポルノ)女優といったレッテルによって、作品や人を「有害」であると「差別」をしていることに気付いていない。
今回の受賞によって、正面から作品を見たうえで正当に判断して、批評の声をあげるようになって欲しいと思う。
テレビが面白くないと切り捨てる前に、主婦連がつけた「低俗番組」のレッテルに反対もせず、番組が打ち切られるのを容認した視聴者の責任も自覚するべきだ。
そうした一連の過失が、日本の大衆文化の担い手としてのテレビの進む道を面白くないものにしたと認識することも必要だと思う。
それは、江戸時代の貴重な文化的財産だった浮世絵を、春画として海外に流出させてしまったという苦い経験を持っている。
そんな過ちを繰り返さないため、私たちのテレビをしっかりと見つめるべきだろう。
そして、自分たちの文化を守るために正しい主張をすることが大切だと思う。
あの時、「私たちはコント55号の野球拳をもっと見たい!」と反論が高まっていたら、日本のテレビはもっと面白くなっていたかもしれないと思ってしまうのである。
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