フジテレビの50周年特番が3夜連続で放送された。
いずれも4時間を超える枠で、音楽、笑い、事件というくくりで50年の足跡を振り返っていた。
私の年齢とほぼシンクロする音楽や、ギャグ・コント、出来事の数々は懐かしくもあり、時間の経つのを忘れてしまうほど。
分からない内容のものがでてくることで、自分の年齢さえ感じさせてくれるものだった。
さすがコンテンツの豊富なフジテレビとの感を強くした。
ただ、その演出はどうなのだろう。
スタジオ展開の部分だ。
スタジオに集まったとても50年の音楽史なり、お笑いの流儀など語れないタレント達。
それらがタレントの性だろう、テーマとさほどかかわりがあるとも思えないことでもしゃべりだしてくる。
それが分け知り顔だったりするから、イライラを通り越して怒りすら感じた。
華やかさを見せたいという狙いもあるのかもしれないが、それなら別の方法があったのではないか。
全くの時間と金(出演料)の無駄。
当然ダイジェストになるのは理解できる。
だったら、はたしてスタジオが必要だったのか。
テーマを考えればそうした考えがあっても良かったのではないか。
そんなスタジオ展開などブチ切って、1曲につき5秒でも10秒でも長く聴きたい。
さもなければ、選から漏れた楽曲やギャグを見たい。
テレビ世代の人達はそんな思いを強くした人も多いのではないか。
VTRを見て、スタジオにいるタレント達がまるで説得力のない感想をいうという演出手法が流行りのようだ。
いつの間にかコメンテイターなんていわれるようなタレントも増えている。
どの局の番組を見てもこんな構成をしているものがある。
まだ若くて、人生経験さえなさそうな女の子が老夫婦のエピソードなどに、したり顔でコメントする。
これってどうなのだろう。
バラエティーの演出手法として正しい道であるとは思えない。
もっとテーマに向き合って、スタジオ部分が必要なのかどうか思い返す必要があると思っている。
どうしても必要ならば、出演する人を厳選して、テーマにふくらみを持たせることを狙うべきだ。
制作者側がどうも安易な道を歩き出しているように思えてならない。
そんなどうしようもない演出手法を、せっかくのハーフセンテニアルの番組にとった、フジテレビの制作陣にちょっと失望してしまった。
バラエティーのCXだけに、もうちょっとオシャレな演出を期待していたのだが…。
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