フジテレビ開局50周年を記念するスペシャルドラマ「黒部の太陽」はテレビ朝日の「落日燃ゆ」と同様、2夜連続5時間の大作だ。
記念番組という割りに出演者は「落日燃ゆ」ほどキラ星のごとく豪華俳優が顔をそろえているという感じはしない。
それでも演技に定評のある俳優が脇を固めて、名よりも実を取ったという印象が強い。
とはいえ、香取慎吾、小林薫、ユースケサンタマリアが鎬を削っているっているわけだから十分豪華出演陣であることは間違いない。
ストーリーは、黒部第四ダム建設の中でも最大の難工事といわれた大町トンネル掘削工事に苦闘する男達がトンネル貫通に成功するまでを描いている。
真に希望に向かって苦難に立ち向かう男のドラマを予想していた。
だが、いわゆる男臭さ120%というものではなかった。
主人公を取り巻く工夫たちも荒くれ男という印象はほとんど感じられなかった。
関西電力の滝山(小林薫)の家庭の事情や、熊谷組の木塚(ユースケ・サンタマリア)と倉松(香取慎吾)の滝山の長女(綾瀬はるか)を挟んでの確執などしっかり描きこまれていた。
また、沢井甚太(勝地涼)と工事現場近くの食堂で働く文子(深田恭子)との純愛と悲劇も、エピソードの域を超えて重要なストーリーのアクセントとなっていた。
さすが、女性層の支持が多いフジテレビならではのドラマといえるだろう。
ただ、そうしたストーリーの膨らみの全てが番組全体に好影響を与えているかというと、それは疑わしい。
破砕帯と呼ばれる脆弱な土壌にぶつかって、徹夜での掘削作業を続けても作業がはかどらない。
この最も大きな山場でもある困難に立ち向かう倉松たちのドラマが希薄になった感があるのだ。
山を去ってゆく男達の心の動きが伝わりきらないし、だから、そうした彼らが再び山に戻ってきた時の感動も、もう一つ盛り上がりに欠けた。
なんとなく、棘のない薔薇、種のないスイカのような印象を受けたことは否めない。
主役の倉松仁志を演じた香取慎吾さんは男達の上に立つ若き親方という役を無難にこなしていた感じ。
ただ、優しい一面を見せる演技や台詞回しの端々に、「薔薇のない花屋」で見せたようなところがあったのが惜しまれる。
小林薫さんもユースケサンタマリアさんも、これまで培ってきた演技力を遺憾なく発揮していた。
目の動きはもちろんのこと、酒を飲むときのちょっとした仕草にも配役の設定をしっかりと表現していた。
特にトンネル堀のプロで男達を束ねる香取と京大卒のエリートを演じたユースケの対比は見ごたえのあるものだった。
それと、恋人甚太(勝地涼)を事故で失った後、倉松の傍で働く文子を演じた深田恭子さんも好演。
辛い過去を持ちながらも可憐さを失わず、倉松を信頼して最後まで付いてゆく姿には、しっかりした演技力を感じさせてくれていた。
その他の出演者達も、いかにも飯場の男達という印象を抑えた演技の中にも男らしさを感じさせてくれていた。
スタッフの側に目を向けても、トンネルの工事現場を再現した美術や特撮の仕事も見事だった。
セットとロケ、オープンセットと、そのそれぞれにある撮影場所の限界をしっかりとフォローしていた。
とにかく、あの石原裕次郎さんが情熱を注いだ大作にチャレンジしたことを評価したい。
一説には石原プロの屋台骨が傾くほどの時間と金がかかったという。
静かだが、熱い心を持った男達のドラマは見る者をテレビの前に拘束するだけの力を持っていたと思う。
ただ一つ。
私が宮﨑あおいさん以上にその演技力に注目している本仮屋ユイカさんが第1回目の冒頭の倉松の見合い相手としてだけだったのが残念。
もうちょっと見たい気がしたのはただ単に私がファンだからというだけではないと思うのだが。
全体的に5時間のドラマという重さを感じさせないできばえで、女性が見ても納得できるだろうドラマだった。
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