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テレビの原点を再発見


NHKの看板番組の一つ「その時歴史が動いた」が来週で終了するらしい。
そのせいだろうか、3月11日の放送分のテーマは「歴史とテレビ」。
テレビの開発から本放送開始、そして現代まで3つの『その時』を設定して、時代ごとのテレビの果たした歴史的な役割を見直していた。

その時1.1953年2月1日、NHK本放送開始
その時2.1969年7月21日午前2時56分20秒 アポロ11号のアームストロング船長が月面に第一歩を記した時
その時3.現代

1.では、開発の歴史。
19世紀末、夢の機械として想像されたテレビが、髙橋健次郎による《イ》の文字の伝送によって現実性を持ったこと。
最初に実用化されたナチスドイツではプロパガンダの手段として活用されたこと。
日本では米ソの冷戦構造からアメリカの政治戦略の一端として開発が進んだこと。
それが経済復興を目指す産業界の思惑と合致、テレビの歴史の第一ページを拓いた、という流れを振り返っていた。

2.では、《テレビならではの表現》を作り上げた足跡を紹介。
当時の皇太子ご成婚パレードで、現場では体験できない臨場感を茶の間に届けることに成功した。
そして通信衛星の開発によって実現した月面からの生中継。
6億人が同時に見たこの映像は、テレビ表現の可能性を模索した時間の結実として捉えられていた。

3.ではその後の歴史とテレビのかかわりを見つめた。
ベトナム戦争の現地報道が生み出した反戦活動の高まり。
1989年のルーマニア革命では、チャウシェスク体制の崩壊の過程を刻々と報道。
この革命はテレビというメディアを挟んでの攻防という側面を持っていた。
その後、イラク戦争でのメディア規制や、9.11の同時多発テロの映像がテレビにつきつけた問題を今後の課題として取り上げていた。

私は、ルーマニア革命から3年ほどしてルーマニア各地をを取材のため旅した。
そのときにはまだ首都ブカレストや地方都市のいたるところに弾痕が残っていた。
中でも最大の激戦地といわれた放送局周辺では、蜂の巣のように銃弾の穴が残された住宅の塀が当時の闘いの激しさを物語っていた。
銃撃戦の間、ここに住んでいる人達はどうしていたのだろう。

そしてチャウシェスクの作った《国民の館》へ続く、広くて豪華な道路の荒廃。
デパートでは広い店内に売るべきものがなく、当然客もほとんどいない。
工事現場のようなガラーンとした空間に所在無げな従業員達。
ストリートチルドレンの増加なども目にした。
革命後3年間の政治の混迷、社会の低迷。
そこにはテレビというフレームの中では映しきれない、現実というものが鋭く私の視線に入ってきた。

『テレビとは何か』
私の中のテーマが、また重くのしかかってきたことを思い出した。

番組の最後に紹介された、テレビの創成期に山の分校に貸し出されたテレビが、期限が来て返還されるときの子供の言葉。
「テレビがなくなったら私はスイッチをいれるまねをする。ああ、あの時はよかったなあと思うだろう。まるで愛のようだった」
テレビはもう一度「愛」に成り得るのだろうか。

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