日本レコード大賞を視た。 新国立劇場から4時間半の生放送。 EXILEがレコード大賞、アメリカ人の演歌歌手ジェロが最優秀新人賞に輝いた。 涙を流すジェロの受賞は印象的だった。 しかし、制作者からみるとなんともお粗末な内容だった。 プロデュース、構成、演出、照明、美術、音声どれをとっても低レベル。 これがプロが作る音楽祭かと見る目を疑う賛嘆たるものだった。 5人も配置した司会者たちの役割分担は不明確。 堺正章さんや上戸彩さん、松下奈緒さんなどタレントの司会陣はともかく、TBSのアナウンサーのポジションはどうなのか? 何のためにいたのか分けが分からない。 また、50周年ということで過去の受賞者たちの映像を流すというのも、劇場の観客はこの間どうしているのだろうと心配になってしまった。 等など、一つひとつ取り上げることがバカバカしいほど。 今や、テレビはこうした音楽イベントの演出もできなくなってしまったのかと悲観的になってしまう。 私がテレビの世界に入った頃。 日本テレビには井原高忠、秋元近史といったショーの演出に長けた人たちがいた。 その後を継いで、白井荘也、吉岡正敏といった音楽に通じた、日本を代表する演出家が音楽祭などの演出を担当していた。 他局では塚田茂さん、長束博さん、久世光彦さん、疋田拓さんなどの名演出家が数々の音楽祭を仕切っていた。 それぞれが、華やかさを競いながら、受賞までの緊張のドキュメントを私たちの前に見せてくれていた。 そこには劇場を使用する意味があった。 ところが、今回のレコード大賞はその意味すら見出せなかった。 こんな作りなら、別にスタジオをいくつか使ったらもっと見易かったろうに…と思う。 この時期はもう10年以上もバンコクにいることが当たり前になっていたので、久々に視たレコ大だった。 それが、こんな番組作りではその存在意味すらわからなくなってしまう。 音楽業界の歴史と伝統を刻んできたレコ大が形骸化の道を歩んでいるのは明白。 それがこのような演出で番組化されるというのでは、その息の根さえも止めかねない。 来年の番組担当者は、もっと真剣にアメリカのアカデミー賞の受賞番組を見て勉強したほうがよいのではないか。 自己満足だけの番組を見させられるのは御免蒙りたいものだ。 こんなことだと、今夜の紅白歌合戦も心配だな~
私にとってテレビとは――
遠くにある「今」を伝えるもの
それは空間的な距離だけではなく、イマジネーションの遠く…
30年以上に亘って生きてきたテレビの世界。
今その世界に別れを告げ、客観的に視ることができるようになった。
これから先、テレビはどこに行くのだろう。どうなってゆくのだろう。
そんな意識を持ちながら、テレビの今を見つめます。
ちょうど親たちの老後を心配していた時のように。