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時間を無駄にした「3億円事件」


12月13日「新証言!3億円事件」を視た。
はっきりいってガッカリした。

番組では、当時捜査にかかわった刑事のコメントを縦軸に、資料映像や新聞記事、それを基にした犯行の再現ビデオ、そしてドラマで構成されていた。
一応ドキュメンタリードラマというジャンルに入るのだろうが、なんとも複雑なつくりだ。
特に、実際の斉藤元刑事の今も眼光鋭く、あの事件を昨日起こったことのように語る映像と、その刑事たちの捜査の模様を描いたドラマのギャップが大きすぎた。
元刑事の印象が強く、説得力があったために、ドラマ部分がまったく邪魔だった。
強い存在感を主張していたのは斉藤元刑事だけでなく、この事件にかかわった人たち全てにあった。
それは彼らにとって、40年という年月を経てもまだはっきりとした記憶と共に生きつづけていることを饒舌に語っていた。
こんなに素晴らしい題材を台無しにしてしまう演出だった。
こんな番組を作っていたら日本のドキュメンタリーは大きな危機を迎えていると背筋が寒くなった。

この番組の苦い記憶引き摺りながらTBSの「筑紫哲也さん×昭和史 第二夜」を視た。
それは2005年8月5日に放送された「”ヒロシマ” あの時、原爆投下は止められた いま明らかになる悲劇の真実」の再放送だった。
番組のサイトには、「原爆開発や投下決定にかかわった当事者、被爆者の方々の貴重な新証言、膨大な数の史料を集めたドキュメント、さらに証言から忠実に制作した再現映像やCGなどによって60年目に初めて明らかになる事実から人類最大の悲劇の“全体像”を描いていく。」と謳っている。
このメッセージどおり、原爆投下の悲劇を真正面から描いたものであった。
再現ビデオにはチョットうるさいなと感じた部分はあったものの、原爆の威力をCGで再現した映像はたいへん迫力があった。
今は被害の実像は見る事ができないが、この映像は見た人に大きな衝撃を与えたに違いない。
被害者のその悲惨さの証言も、この映像によってより一層強く現実味を帯びて、心に響いた。

番組の中で、原爆をつくり、その投下から爆発の模様を撮影していた科学者の言葉に強いインパクトを受けた。
「広島を破壊するのに原爆の方が簡単だった。」
「銃弾で死んでも、普通の爆弾で死んでも、原爆で死んでも同じこと。死ぬことに違いはない。」
「戦争には罪なき民間人はいない。」
「(原爆投下について)謝罪はしない。真珠湾を忘れるな。」
被爆者やその家族にとってみれば許せない言葉かもしれない。
しかし、最後に筑紫哲也氏がいった「誰が加害者で被害者であるかが分からないのが戦争」という言葉にあるように、その科学者に謝罪の言葉を求めるのは酷かもしれない。
ただ、彼は忘れている。
原爆は死んでいった人だけではなく、戦争が終わってからも、被爆二世、三世にも死の恐怖を突きつけていることを。
戦争が終わって、真の意味で民間人となった、戦争とは無縁の人たちが苦しんでいることを認めようとしていない。
筑紫氏の言葉、「加害者から被害者のことを思うことは難しい」というだけでは納まりがつかない気持ちが残った。

ただ、ドキュメンタリーというのはそうした現実を私たちの目の前に提示してくれるもののはずだ。
原爆の被害者の言葉と3億円事件にかかわった人の言葉の軽重を計るものなどない。
中途半端なテクニックに走ることで、貴重な題材や取材した人たちの証言を無にしてはならないと肝に銘じるべきだ。
心に残る秀作と駄作の間にあるのは、そこに正面から向き合う制作者の目と情熱だと、改めて強く感じさせてくれた二つの番組だった。

3億円事件は今年で発生から40年になる。
当時中学生だった私にとってもとても衝撃的な事件だった。
犯行が行われた場所が府中刑務所の裏であることも、国立の学校に通う者にとって何か身近に感じられた。
学校でも生徒たちの間でたいそう話題になったものだ。
そういえば、その学校の先生が警察から尋問をされたという話もまことしやかに噂されたっけ。

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