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そろそろ勇者の出番では?


テレビ朝日の長寿番組「徹子の部屋」。
いったいいつまで続くのでしょう。
スタートしてからもうすぐ33年にもなろうとしているのだそうです。

司会の黒柳徹子さんは、日本のテレビ史を語る上で欠くことのできない人だ。
テレビの創成期から活躍され、この番組以外でも多くのテレビ史に残る番組にも出演された。
今も語り継がれるTBSの「ザ・ベストテン」や今もユニークな発想で高正解率を誇る「世界不思議発見」などユニークな企画を一層際立たせる実績を作った。
この他にも局をまたいで大きな貢献をされたことは、長く語り継がれるべき偉業だ。

ただ、ここ数年「徹子の部屋」の衰えぶりは目を覆うほど、過去のきらめきを失っている。
その大きな要因は、残念ながら徹子さんのお年だろう。
もう75歳、四分の三世紀も生きていることになる。
特色のひとつであるあの早口は、入れ歯のせいか、滑舌を云々できるほどのレベルではなく、もはや聞きづらい。
加えて、ネタ帳から次の話題を探しているのだろう、「あの、ほんとに」が連発される。
そして最も衰えを感じざるを得ないのは、ゲストの話を聞かないこと。
時には話をぶった切ることも珍しくはない。
細かいことをいうと、CM前に「それではここでコマーシャル」を何度繰り返しいうことか。
これだけの時間があれば、もう1ネタくらいゲストの話が聞けるのに…と思うほどだ。

確かに、固定視聴者の多くは徹子さんを視に来ている人も少なくないかもしれないが、やはりゲストの話の方が重要でしょう。
番組の舞台裏ではゲストへの徹子さんの心遣いは細部まで考えられているという。
あのタマネギ頭も、毎日徹子さんのヘアスタイルが変わると、視聴者の目が徹子さんに行ってしまって、ゲストがないがしろになるということから考えられたそうだ。
Wikipediaの「徹子の部屋」の項目にそれらのことが記されている。
それほどまで考えられていた「おもてなしの心」が、今は形骸化しつつある。
それは、きっとこの番組にかかわる誰もがもう何年も前から感じていることなはずだ。
制作担当者だからこそ強く感じていたはずだ。
ならば、誰かそろそろ勇気を出して、降板(番組終了)という鈴をつけても良い時期ではないか。

この時間、NHKでは「スタジオパークでこんにちは」というトーク番組が編成されている。
そこでは武内陶子さんが、NHKのアナウンサーとは思えないような「素」を見せながら、明るい雰囲気の中でゲストの持ち味を引き出している。
渡辺(黒田)さんや有働さんの頃はともかく、今ははっきりいって、もはや太刀打ちできないほど高いレベルにあると思う。

「徹子の部屋」は掛値なく対談番組の新しい流れを作り、金字塔といってもよいだけの実績を残した名番組だ。
それを終わらせるのは担当者として勇気がいることだ。
だからこそ、番組としてこれ以上老醜を晒すことはない。
大いなるマンネリは、本当のマンネリを回避する最大限の努力があって、あえて作り上げられるもののはず。
そうした策も尽きたのなら、一刻も早く幕を閉じるべきだと思う。
それがこの先、けっして長くはないであろう黒柳徹子さんの人生を考えて最上の策であると思う。
テレビ朝日の勇気に期待したい。

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