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木曜日はドラマの日


毎週木曜日の夜は、ドラマの日だ。
8時からANBの「おみやさん」。
前にも書いたけれど櫻井淳子さんが、いかにも石ノ森章太郎の原作にでてくる女性を髣髴とさせて存在感を出している。
実年齢はもう30代も半ば過ぎのはずだが、結婚適齢期の年頃の役を若々しく、そして無理なく演じている。
他のドラマなどではおとなしい役であったり、影のある役が多いようだが、これらよりずっと七尾洋子役のほうが私は好きだ。
そういえば、鑑識役の七瀬なつみさんも実は相当な年だったはずなのに、おみやさんを片思いする女性をコミカルに演じているのも楽しい。
視聴率も、シリーズを繰り返すごとに上がっているようだが、残念ながら今シリーズはちょっと盛を過ぎてしまったような感を受ける。
制作側も、演じる側もどうも勢いというか、昂揚感が薄れてきているように感じられるのは私だけだろうか。
マンネリを回避するための策がうまく生きていないように思う。
それでも、「相棒」ほど末期的な症状にはなっていないようなので、まだ出直しは効くかもしれない。
ただ、渡瀬恒彦さんが未だに「坊ちゃん」と呼ばれるのは、どうにも視ている方が面映く感じてしまうと思うのだが…。
題材的にはきっとおもしろいネタなので、もう一度原点を見直して、犯人探しというより今回前田吟さんが演じたような人間ドラマとしての位置づけをして欲しいように思う。
続いて9時からは「小児救命」。
小西真奈美さん演じる青山宇宙が理想とする小児科病院を開業する小児科医を熱演している。
始めのうちは、彼女の理想やスタッフとの軋轢が通り一遍で、なんとも安直なドラマだなと思っていた。
小西真奈美が熱演するほどストーリーの薄さが目立ってしまっていたといわざるを得なかった。
10時からの「風のガーデン」までのつなぎで見るとはなしに、テレビがついていたという程度のものだった。
ところが、ここ1~2回で主人公のそれまでの人生が詳らかになることで、ようやく宇宙の思いに真実味がでてきた。
なぜ宇宙がコンビニのように、いつでも開いている病院を目指すのかという理想の裏にあるものが見えてきた。
番組も終盤にきてのことで、もったいないという思いが強い。
全体の構成が違っていたらもっと分かりやすく、共感を集めることができたのではないか。
ただ、大上段に振りかぶった感があるタイトルに対して社会性が感じられないのが惜しい。
もっと出演者の数を減らしてもよかったのかも…。
そして10時からはいよいよフジテレビの「風のガーデン」だ。
このドラマについての感想はまた今度にとっておこう。
それにしてもドラマというのは作り手の思いとか優劣というのが前面に出るものなのだな。

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